上泉伊勢守ドラマ

2016.11.16 袋竹刀を使って激しい稽

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16日は上泉城の道場を想定しての稽古風景です。伊勢守の一人稽古。文五郎(石黒英雄さん)、神後(菊田大輔さん)を交えての激しい打ち合い。さらには正子(高島礼子さん)との稽古も行われました。上泉伊勢守が考案した袋竹刀もここで初めて登場します。
当時の稽古は木刀や刃をつぶした刃引きの刀を使用していたので、間違って打てば大けがをしたことが想像されます。せっかく上達した者でも、ちょっとしたミスが命取りになって、その後の稽古ができなくなることもあったでしょう。稽古ができないことは戦場で戦えないことにつながり、戦力増強の稽古の意味がなくなってしまいます。
そこで伊勢守は八ツ割りにした竹を皮の袋に入れた今の竹刀の原型ともいえる袋竹刀を考えたのだと思われます。これなら当たっても衝撃を吸収し、(特に初心のうちは)打ち身や擦り傷はできますが、ほとんど怪我をすることなく、寸止めでない稽古をすることができるようになったのです。しかも中の竹が折れれば、材料の竹はそこらにたくさん生えているのですから実に合理的です。こんなところにも...合理的な考えで戦国を生き抜き命を大切にした伊勢守の精神を見ることができます。
新陰流の稽古では縫い目を「刃」と考えて用いますから、ふつうに持った場合、縫い目は常に下を向きます。また、袋竹刀には鍔が付いていません。間合い、太刀筋、拍子を正しく使えば相手の太刀を防ぐことができるからで、今も昔も新陰流の袋竹刀に鍔はありません。長さは3尺2寸~3寸、約1㍍で、ほぼ真剣と同じ長さで、現在の竹刀のように長くありません。
ドラマでは文五郎から初めて袋竹刀を渡された正子が、袋竹刀を見て驚く様子が見られます。また、伊勢守と文五郎、神後の稽古の撮影では、伊勢守が手加減なく文五郎や神後の手、足、胴を打ち据える場面を見ることができるでしょう。

2016.11.15 快晴の赤城山で上州に別れ

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 14日はたった一日の休日。スタッフは温泉に行ったり、ホテルでひたすら休養をとったり、体調管理のため医者に診てもらったりと思い思いの一日を過ごしました。その中にあって装飾、小物を担当する人たちは、休日返上で箕輪城跡に張った陣幕の撤去などをしました。
 全員の願いが通じたのか、赤城山頂はこの秋一番というくらい素晴らしく晴れ渡りました。小沼畔からは雪化粧をした富士山を望むことができたほどです。ここでは戦いに敗れた伊勢守が失意の底から立ち上がり、文五郎と神後を伴って新陰流を広める旅に出る場面が撮影されました。旅姿の三人が長七郎山から続く山道を小沼湖畔へと下りてきます。展望のきく所で真っ青な空に映える赤城山と上州の地に別れを告げる場面は、誰言うともなく「いい日旅立ち」そのものでした。最後の場面でこんないい天気に恵まれるのは「天が味方した」。そう言うスタッフもいて、無言のうちに「いい作品になる」という雰囲気に包まれました。
 午後から夜にかけては甘楽町・楽山園に場所を移して国峰城主・小幡政春(池田政典さん)とその妻・正子(高島礼子さん)の悲し過ぎる最後の場面が撮られました。実は正子は長野業政の娘で、嫁ぐ前は伊勢守の門弟として剣の修行をし、そして密かに伊勢守に思いを寄せていたのです。戦国の世はそうした正子の思いも、国盗りの厳しい現実の前に踏みつぶしてしまいます。これ以上のことは、やはりドラマを見てください。

2016.11.15 赤城山頂別れの場面

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赤城山頂別れの場面

2016.11.15 楽山園

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楽山園

2016.11.15 小幡楽山園

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小幡楽山園

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