上泉伊勢守ドラマ

2016.11.18 閑話休題

前日、中打ち上げをした折、円卓にチャーハンが出されました。高島さんはすっと立ち上がると、押しも押されもせぬ女優なのに、テーブルのメンバーそれぞれに小分けしてくれたのです。きっと、正子もこんな気の利く女性に違いないと思いました。隣の村上さんが「正子さんとも明日でお別れですね」と話しかけると、「私、死んでしまうからね。でも、ドラマが続けばまた違う役で出たいな」と高島さん。「大丈夫、伊勢守は後半生が面白いのです。これはまだ前半、必ず後半も作りますし、連続ドラマにもなります」と太鼓判を押してくれました。

2016.11.18 際立つ正子の美しさ

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この日は前橋臨江閣の日本庭園を箕輪城の一郭に想定して、長野業政(田中健さん)が娘・正子(高島礼子さん)を、国峰城主の小幡政春(池田政典さん)に嫁がせようとする戦国武将の辛い心模様を撮影。すぐに安中市郡奉行役宅へ移動し、国峰城下を想定して、時代にほんろうされた幸少ない正子を中心とする人間模様が撮られました。派手な動きの多い合戦場面や太刀回りが代劇の見せ場とすれば、演技力が問われるこうした地味な場面は、物語を支える大切な軸といえるでしょう。
正子には娘も生まれ、夫である小幡政春とむつまじく暮らしています。しかし、戦国の世はささやかな幸せさえも継続させてくれません。武田の侵攻を受け妻子や領民のことを考えた末、小幡正春は武田へ寝返ることを決意、正子にそのことを打ち明け、お前は箕輪城へ帰れ、と告げます。感のいい正子は今までの父・業政との会話や小幡の何気ない動きの中に、こうしたことになるだろうと察しているので、毅然として小幡に付いていく決意を示します。
上野を守らなければならない業政の決意、武田の攻略にあえぐ小幡正春の...苦悩、自分に寄せる思いを知りながら小幡に嫁ぎ、さらに武田に寝返る小幡の妻としての正子の運命……。国峰城下の撮影は深い悲しみを秘めた正子の美しさが際立っていました(正子の出る場面撮影はこの日、夜、終了しました)。
伊勢守はこうした事柄をすべて心の中にしまい込んで、上野を守るため長野業政についてゆくのです。

2016.11.17 小姓役の依田さん

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信玄の小姓として太刀持ちを務めたのは箕郷町の依田久美子さんです。依田さんは箕輪城の合戦でもエキストラとして鎧を着け本丸を駆け回っていました。衣装の人に小姓役で出てみないかと声を掛けられて実現したそうです。

2016.11.17 感動の出会い 伊勢守と信玄

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このドラマは上泉伊勢守が上洛するまでの前半生を描いています。陰流を創始した愛洲移香斎(勝野洋さん)との出会いと修行の日々、武田勢との攻防、仕えた長野業政、妻や正子との別れ…。戦いに明け暮れた半生の中にはいくつもの山場があます。この日撮影された武田信玄(原田龍二さん)との出会いの場面も、大きな山場の一つといえるでしょう。
 台本は110ページあり、それを109のシーンに別けて撮影します。短いシーンはわずか1行ですから、その場面によって長さはまちまちです。この出会いの場面は約4ページに及ぶ長いもので、これを30カットに分割して撮影しました。それだけに伊勢守と信玄のやり取りは、見ていてものすごい迫力を感じました。
 箕輪城の攻防で伊勢守の奮闘ぶりは武田勢によって信玄の元に、もたらされたことでしょう。武田家の記録を書き残した『甲陽軍鑑』には上泉伊勢守のことがかなり詳しく書かれています。箕輪落城と伊勢守のことについて『甲陽軍鑑品卅三 上泉伊勢兵法修行事』から少し長いけれども次に引用します。
「長野信濃守大剛の...武士といひ、地戦には千騎の侍を持候故、箕輪の城信玄公三十七歳の時より年々はたらき給ひ、四十三歳にて七年めに箕輪御手に入、是も三年以前辛酉の年信濃守病死して廿より内のせがれの代にも三年もち、今度落城にも信玄公の衆に手負・死人多し、此儀は長野信濃守家中の侍衆能武士ども成故、如此信濃守衆二百騎あまり召をかるる、中に上泉伊勢と申者も武士ほまれおほき侍なるが、此者信玄公へ御いとま申上候子細は、あひすかげの流と申兵法をならひ得て候間、此中よりそれがし仕出し、新陰流とたて兵法修行を仕り度候、奉公いたすにおいては信玄公へ注進申べく候、奉公にてはなく修行者に罷成候と申す故、御いとま被下也。」
 要約すれば、長野業政の手腕をほめ、そのうち2百騎が信玄に召し抱えられましたが、「ほまれおほき侍」である伊勢守は「あいすかげの流」から新陰流を編み出し、その修行のため、いとまごいを申し出てゆるされた、ということでしょう。
甲陽軍鑑には信玄から「信」の一文字をとって「秀綱」から「信綱」に改名したことは触れられていませんが、撮影ではここが大きな見せ場になります。修行を申し出る伊勢守に対し信玄は、修行とは名ばかりで実際は自分の命を狙う機会をうかがうのであろう、と伊勢守の言葉を一切信用しません。それどころか伊勢守の首をはねようと太刀を抜き放つのです……。この撮影場面では、二人のやり取りに見とれた金監督が「カーット」を忘れるほどでした。
信玄役の原田龍二さんは「信玄が何流を使っていたのか、どのような太刀を使うのか知りたいものですね。私も合戦に出たかったな」と、太刀回りに興味を示し、箕輪城の合戦に出番がなかったことをちょっと残念そうに話していました。

2016.11.16 昏くなっても撮影は続きました

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昏くなっても撮影は続きました

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