2005(平成17)年度活動報告

1 地元講演会

 初年度の講演会はまず、上泉町の人に伊勢守のことを知ってもらうことを目的に、地元公民館で行うことにしました。計2回を考え、1回目は伊勢守の時代背景と人物像、2回目を新陰流の技などを中心に行うことで進めました。

 第1回の講演会は11月12日(土)、上泉町自治会館で開かれ公演とビデオ上映が行われました。群馬テレビ社長で本会研究会の鈴木叡委員長が講師になり、「剣聖 上泉伊勢守信綱公」の演題で、人物像や戦国時代の背景を分かりやすく説明しました。地元の人を中心に関係者を含め約200人が郷土の偉人への理解を深めました。  第2回講演会は年が変わった平成18年1月15日(日)、同所で開かれ初回と同じく200人近い人が参加しました。講師は本会の宮川勉事務局長が務め「現代に生きる新陰流」をテーマに講演、新陰流をビデオで解説しました。  また、当日は前橋東商業高校の生徒も参加し、授業で制作した「上泉伊勢守」の漫画を投影し、好評を博していました。同校生徒たちは会場作りや受付も手伝ってくれるなど、この講演会は学校と地域との交流を深めることにも一役買うことができました。

2 柳生の里を巡る旅

 バスツアーの事前視察として11月21日(月)・22日(火)の2日間、宮川、金井、塚原の3人が一足早く奈良市・柳生の里を訪ねました。奈良市、柳生町など多数の関係者と会い、心温まる応対に感激。2月の本番を控えて関係者らと行った打ち合わせは和やかに進みました。

 柳生の里バスツアーは平成18年2月8日(水)9日(木)10日(金)の2泊3日で行い、地元上泉町の人を中心に37人が参加。上泉伊勢守が柳生石舟斎に新陰流を伝授した土地(宝徳禅寺、正木坂道場、一刀石、旧柳生藩家老屋敷など)を訪れ、往時に思いをはせました。宝徳禅寺では橋本住職の説明を受けた後、敷地内にある柳生家累代の墓や上泉伊勢守の供養塔「柳眼塔」に、持参した花や線香を捧げました。

 9日の夜は、自由参加で宝蔵院流槍術宗家・鍵田忠兵衛氏宅に設けられた道場で宝蔵院槍術を見学。見学したほとんどの人が実際に十文字の鎌槍(稽古用)を持って“体験入門”を楽しんでいました(上泉伊勢守は宝蔵院流槍術を創始した宝蔵院胤栄に目録を渡しています)=宝蔵院流槍術に関連記事があります。

芳徳寺 卜伝縁の諏訪神社 柳眼塔
柳生の里 柳生街道 柳生陣屋
一刀石

3 剣聖 上泉伊勢守シンポジウム

 シンポジウムは17年度の最後を飾る事業として2月19日(日)、前橋市日吉町の総合福祉会館で午後1時30分から行われました。駐車場、受付、接待、案内、進行など会員はもちろんのこと、地元の人々をはじめ前橋東商業高校生ら大勢の人の協力で滞りなく開催することができました。

 パネリストは柳生耕一氏、上泉一治氏、高木政夫前橋市長、鈴木叡群馬テレビ社長の4人。柳生耕一氏(名古屋在住)は前日、東京で新陰流宗家を継承したばかり。上泉伊勢守の子孫の上泉一治氏(米沢在住)も前日、宗家継承式に出席。二人ともきつい日程にもかかわらず、快く参加を引き受けてくれました。  昼ごろまで来場者が少なく入場者の数が心配でしたが、1時ごろから続々と訪れ、500席がほとんど満席に近い状態でした。入口近くには設けた新刊・古書のコーナーも好評でした。また、前東高生徒が作った上芝居や、袋竹刀の展示も興味をひいていました。 基調講演で伊勢守の時代背景や、新陰流が今日までどのように継承されてきたかについて詳しく説明があったので、シンポジウムもスムーズに進めることができました。予想以上に多くの質問が集まったことも関心の高さを示していました。

→シンポジウムの詳細はこちらをご覧ください。

4 その他の顕彰活動

「生誕500年 前橋が生んだ剣聖 上泉伊勢守」と書いた幟旗200本を作成

 上泉町自治会長で上泉伊勢守顕彰・生誕五百年祭実行委員会の渡辺善衛会長と同委員会の金井清一顧問は平成18年5月24日、上毛新聞社を訪れ作成した幟旗2本を武藤編集局長に手渡しました。

 幟旗は縦1㍍80㌢、横45㌢。布の上部に上泉家の家紋「ミツバカタバミ」を配し、「生誕500年 前橋が生んだ剣聖 上泉伊勢守」の文字を書き込んであります。紺の文字と紺地に白抜き文字の2種類を各100本作りました。

 2人はこの後、県、前橋商工会議所、上毛電鉄を訪ね幟旗とパンフレットを渡しながら活動への協力を訴えました。